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山梔窩 (さんしか) |
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幕末の蛤御門の変(1864年)で破れ、京都天王山で自刀した真木和泉守保臣が幽閉中に近隣の青年たちを集めて思想教育を行なった庵です。(水田天満宮近くで徒歩2分ぐらいの所にあります。
県史跡指定 |
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案内によりますと、和泉守は久留米水天宮の第22神官で久留米藩の藩政改革を試みましたが、守旧派重役らの反対により、失敗し水田天満宮の神官でもある実弟の大鳥居理兵衛により罰をうけ嘉永5年(1852年)から文久2年(1862年)の間ひきこもった住居が「山しか」です。文久2年(1862年)に「山しか」から脱出を決行し水田を後にしました。その後、元治元年(1864年)禁門の変(蛤御門の変)に参戦し、敗れて京都の天王山で同士16人とともに自刀したとあります。 建物の中に入ることは出来ませんが、柵の外から見ることができます。
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