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“うらみのたき”と聞いて、“恨みの滝?”と背筋を凍らせる方も多いだろう。 ある滝の写真をみて、霊能者が「ここに霊が写っています」と薄暗い雰囲気の中で語ると、誇張された悲鳴がスピーカーから溢れ出てあたりに響き渡る・・・ そのようなとあるテレビ番組の1シーンでも思い浮かべば、ますます小心者の私などは手が震えだすというものだ。
しかしご懸念には及ばない。うらみはうらみでも恨みではなくて裏見なのだ。日本語の難しいところというべきか、発音はまったく同じ、前後のつながりからどちらにも判断できる。世界的にも難しい言語「日本語」たる所以【ゆえん】である、と改めて認識して頂いたところで、その裏見の滝をご紹介しよう。
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花の女王「世界のしゃくなげ公園」を通って谷に降りていくと、木々の間から落差30mの滝が姿を現す。最近まとまった雨が降っていないせいか、少々水量が少ないのではないかと思う。
しかし、緑深い中に上品な水の流れがマッチしている。例えば水墨画で日本の滝を表現するとまさしくこのような姿で描かれるだろうか、と勝手に想像してみる。だって水墨画でナイアガラの滝を表現しても「?」ではないかな。
「裏見の滝」の文字から、「まさか、滝の裏から見ることができるから?」と思った皆さんは、まだまだ正常な思考回路を保たれている、安心である。「まさか、滝の裏が透けてみえるから?」と思ったあなた、それは間違いではない。人とは違う思考アプローチによって、なにやら発明のきっかけを生みそうだな方だ。(編集注:ほ、本当か?)
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訪れたのは雨上がりの日の午前中だった。当然未明まで降っていたこともあり歩道はウェット状態、さらに天然石で整備されているがかえって滑りやすい一面がある。 このウェットにアップダウンの厳しいコースにもかかわらず、私の足元は少しの溝も掘られていない軽快なドライ用の靴だった。早朝出発により急いでいたからか、履き替えのタイムロスを惜しんでこの選択のままとなったのか。ピットクルーに文句のひとつも言いたくなる(編集注:いませんよ、自己管理!)
そして悲劇は起こった。ツルリッである。とっさにシューマッハ並の“ハンド”さばきでカメラを庇い、そして最悪のしりもちをつくのは避けた、だが黄金の左手(?)にドロがべっとりとついてしまった。「なんということだ、カ、カメラをきちんと構えられない!!」
突然の悲劇だった。怒りで拳がブルブルと震える(編集注:打ったから痛いだけでしょ?) 裏見が恨みに変わろうとする一瞬だった。(編集注:おおげさだよねぇ)
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さて、裏見の滝と呼ばれるところの滝裏にやってきた。 手洗い用にと、滝の水を竹を使って導いてある。失礼ながら先ほどの手もこちらで洗わせて頂き、裏見の滝への恨みは生まれずに済んだところである。滝下におられる観音様のおかげである。
なるほど、滝の裏から滝向こうを見ることができる。たまに大きな水滴が頭上から落ちてくるのが心地よい。夏は涼しいだろう。瀑布による霧状の水滴が飛散し、辺りを涼しく包み込んでいる。マイナスイオンがいっぱいということだね。
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裏見の滝と呼ばれる滝は、日本全国に数箇所あるようだ。ちなみに少し調べたところによると、
群馬県利根郡水上町 栃木県日光市
にそれぞれある「裏見の滝」も知られた存在のようである。
いずれも滝の裏から見ることができることからこう呼ばれている。他にも通称「裏見の滝」と親しまれている滝もいくつかあるようだし、景観優美な日本ならではである。 とはいえ、九州で滝裏からゆっくり眺められる滝は他にあるのだろうか...情報不足なだけか思い浮かばない。ここの裏見の滝も必見である。
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滝の近くには仏像郡が祭られており、ここは修験道場であったのだろうと思われる。精神面を鍛える一面があると思う修験道。ここで修行した者は冷静に且つ適正な判断が下せる人々であっただろう。
ひょっとするとここで修行を積んだ修験者は、人の裏の心が見通せる「裏見の達」と呼ばれていたかもしれない。(編集注:あいかわらずの締めくくりだな・笑)
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