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【 現地案内文 】
史跡 七ツ森古墳群(文化庁)
●指定年月日 昭和三十四年五月十三日
●指定の理由
この古墳群は、名称が示すように、もともと七基の古墳があったが現在は四基である。昭和二十九年の調査で、A・Dの円墳と、B・Cの前方後円墳が確認された。
この古墳群は、豊肥地区において、最古の幾内型古墳と考えられこの地域の原始古代文化を研究するうえで重要である。
●説明事項
この地にはもと七基の古墳が存在したといわれるが、現存するもの四基でほぼ東西に並んでいる。A号とD号は円墳で、B号とC号は柄鏡式の前方後円墳である
昭和二十九年調査したA号墳は、直径二〇米、高さ四米の封土よりなる。墳頂から北側に葺石が敷きつめられている。墳頂よりなな南寄りから発見された舟形式石棺は非常に小さく小児を納める刳り込みがある。特に石枕の直径は六糎であるところから、生後間もない幼児のために造られたものと考えられる。
B号古墳は、ほぼ東西を主軸とした全長四七米、高さ六米の前方後円墳である。柄鏡形をした古式古墳で後円部の中央において主軸と同方向に組合式石棺一基が発見され、中央部には一体の成人男子の遺骸が伸展葬されていた。
副葬品では、垂玉類・碧玉製釧・鹿角装刀子等が発見され、特に碧玉製釧は九州においては、非常に出土例が少なく、しかも砕片として遺骸付近にまき散らした状態で出土した。そのような形跡から何か特殊な葬法が存在したものと思慮されて興味深い。この七ツ森古墳は、墳形・内部構造(石棺)・出土品等から古墳時代の前期に比定される。
●保存上注意すべき事項
*墳丘・周構・周堤を含む地域を特に保護する。
*墳丘の土の流出を防ぐ
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