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天領日田、江戸時代に幕府直轄地として繁栄していた街である。今でも日田市豆田町付近は昔ながらの区割り(町並みじゃないんだなぁ)が残っていることで有名であり、また日田天領ひなまつりのメイン会場で賑わうところでもある。その豆田町(当時豆田魚町)にあった商人博多屋の長男として、天明2年(1782年)に廣瀬淡窓【ひろせたんそう】は生まれた。日田にあって博多屋、そう先祖は博多から移ってきた家系だそうだ。
廣瀬家はもともと学問を重視し社会に貢献しなくてはならない、といった思想を持っていた。さすがは後に先生と呼ばれる淡窓を育んだ環境である。ちなみに弟は廣瀬久兵衛【ひろせきゅうべえ】で、博多屋を継いで水利工事、水路工事、干拓工事さらには藩政財政改革など大活躍をした人物だ。淡窓と久兵衛はお互いの長所を認め、方や学問の師、方や塾の経済的支援と助け合う関係となる。
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