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廣瀬淡窓【ひろせたんそう】が開塾した咸宜園【かんぎえん】を先日ご紹介したが、その淡窓先生が眠るお墓もまた国指定史跡となっているのでご紹介しようと思う。
廣瀬淡窓は1856年に秋風庵にて75歳の生涯を終えているが、生前、お墓はここ長生園にと決めていたそうで、廣瀬淡窓の他にも淡窓一門がここに眠っている。咸宜園を淡窓から受け継いだ、旭荘【きょくそう】、青頓【せいとん】、林外【りんがい】、濠田【ごうでん】といった人物の墓もここにある。
現在長生園は、閑静な住宅街の一角にお墓が並ぶ緑に囲まれた聖域である。咸宜園から歩いて行ける距離だ。
病弱なため家督を弟に譲った廣瀬淡窓は、日々善と悪の行ないを反省し万善簿【まんぜんぼ】につけ、差し引き1万6千も善行が多かったという。75歳の長寿は神様の御慈悲なのかもしれない...
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