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この場所に天主堂が建立された主な背景は140年程前の慶応3年(1867)まで遡る。ちょうど江戸幕府の第15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返上した、いわゆる大政奉還がなされた年と時を同じくする。
キリシタン迫害によって外海【そとめ】(現長崎市:旧西彼杵郡外海町)を追われ五島に移り住んだドミンゴ森松次郎翁によってここ頭ケ島に聖堂を兼ねた伝道師養成所を当年に落成されたことによる。
翌年には頭ケ島にもキリシタン迫害の手がおよび養成所が一時監禁所となり、さらには島も無人となるが明治6年(1873)にキリスト教禁制の高札撤廃がなされると島に再び人々も戻りドミンゴ森松次郎の屋敷跡に大崎神父の指導により現在の聖堂を建築、完成まで7年の歳月を経て大正6年に完成したのである。
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