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玉名温泉街近く、白くひときわ大きく目立つ鳥居ですぐ分かる疋野神社である。 明治時代、熊本県下で真っ先に列格された「県社【けんしゃ】」とされている。玉名地方では唯一でその社格は高いそうである。
ちなみにこの時代の社の位は、 神官 官幣社【かんぺいしゃ】 国幣社【こくへいしゃ】 県社【けんしゃ】 と続き、県社は4番目の位となる。
「おいおい、順番的には4番目じゃないか、それで社格は高いのか?」 とお思いかもしれないが、県社は熊本県下で三社しか存在しなかったそうだからその位の高さは推して知るべしである。
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さらには、「続・日本後記」に840年7月27日に官社となったことが分かる記載があるとのこと。眉毛が丸い白塗り顔におはぐろの公家さんがたくさんおられた平安時代の文献。歴史ある神社は多くあると思うが、その歴史が残存する書物からひも解けるところはそう多くないのではないだろうか。 ちょっと驚いたぞ、疋野神社、というのが第一印象。
現在の社殿は、1680年頃に藩主細川綱利公によって全てけやきの木によって建てられている。取りあげて大きいということはないが、この地方にあっては大きい社殿だろう。歴史を感じさせる色合いと佇まいだ。
また、白く大きな一の鳥居の次にある二の鳥居は、300年ほど前に肥後藩家老長岡筑後守【ながおかちくごのかみ】寄進の石鳥居と、藩との関わりが深いことが分かる。
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それでは、疋野神社を語る上で忘れてはならない「疋野長者伝説」について、簡略ながらご紹介しよう。
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千古の昔(ものすごく昔ということかな)、都に美しい姫君がおられました。その姫君が幾度となく同じ夢を見られたそうです。
「肥後の国にある疋野の里に、炭焼き小五郎が住んでおる。その者と夫婦になるように」
姫は、度々見る夢についに決心し小岱山ふもとのこの疋野の里へ供を連れやってこられました。
小五郎は驚き、食料も満足にないと断わりましたが、姫はお告げだからと頑【かたく】なまでに妻にと申され、金貨を小五郎に渡しお米を買ってきてほしいと頼まれました。
仕方なく出かけた小五郎は、途中飛んできた白鷺に金貨を投げつけました。白鷺は湯煙にかすむ谷に落ちていきましたが、しばらくすると元気に飛び去っていきました。
米を買わずに帰った小五郎に「あれは何でもかえる大切なお金というものでしたのに」と姫は大変残念がられました。
すると小五郎は、
「あのようなものはこの山の中にたくさんあります」
と言うではありませんか。姫はあたりを見るとまさしく金塊がそこらじゅうに埋もれていました。
こうしてめでたく夫婦となった小五郎は、疋野長者と呼ばれて大変栄え裕福に暮らしたそうです。
(後に白鷺が元気になった温泉は、玉名温泉として栄えました。)
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いかがだろう、なんともハッピーな伝説ではないだろうか。だが皆さんには次のような疑問が湧くかもしれない。 「何も白鷺に金貨を投げなくても…」 「金塊?この地方に金山があったとは聞かないが…」 至極当然なご感想だろう。悪さをして困っていたカラスに投げつける、ならまだしも、ハトの次に平和の象徴に見えてしまう白鷺に投げつけるとは小五郎殿いかがなさった、という感じである。しかしこの伝説からか、玉名温泉は白鷺の湯とも呼ばれている。これがカラスの湯となっては温泉関係者が大いに困っていただろう。 金山かどうかは小岱山を掘り返さないとまだ分からない、私見は記さないでおこう(笑)
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疋野神社は、疋野長者伝説ゆかりのお宮として親しまれている。
社殿の裏には「長者の泉」が湧出している。玉名温泉に訪れられた際には、すぐ近くだから浴衣姿でも足を運ぶことができる。歴史ある神社境内で、疋野伝説に思いを馳せてはいかがだろう。
さてさて炭焼き小五郎殿は、長者になってからも炭は焼いておられたのか?(編集注:ロマンのない思いの馳せ方だな)
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