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【 現地案内文 】
この神社は、応和元年(961)、大野別府(荘)の地頭紀(大野)隆村が、荘園の本家である石清水八幡宮の分霊を勧請【かんじょう】して大野荘250町歩(250ha)の総鎮守としたと伝えられています。なお、領家は福岡の筥崎八幡宮です。
中世には、高瀬五ケ寺の一つ天台宗壽福寺(神宮寺・社の北側が旧寺址)の支配下にありました。大野氏の後ろ盾として玉名地方に進出し、高瀬を拠点に海外貿易にも乗り出した菊池氏(一族は高瀬氏を名乗る)に保護されてきましたが、菊池氏が没落すると同社も衰退しました。
近世、肥後の国主となった加藤清正は、城北の有力神社として再建整備につとめました。現在の社殿、石垣は当時のものといわれます。ついで、入国した細川氏も保護につとめ、楼門の扁額は安永年間(1780頃)の藩主重賢【しげかた】の筆になるものです。
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