境内に整備された小道を一番奥まで進むと霊巌洞がある。洞内は拝観しやすいよう木床となっており、岩戸観音が安置される拝殿や岩肌に雲巌寺の開祖・東陵永與によって刻まれた「霊巌洞」の文字なども見受けられる。
宮本武蔵がここ霊巌洞に籠もり「五輪書(ごりんのしょ:地・水・火・風・空になぞらえて五部に分け、兵法の奥義を述べた書)」を書き始めたのは寛永20年(1643)の秋と言われている。その僅か2年後の正保【しょうほう】2年(1645)5月19日、武蔵は病に伏し、熊本城内・千葉城址の屋敷で62歳の生涯を閉じることとなる。
五輪書は死期を悟った武蔵から高弟【こうてい】の寺尾勝信に伝授され、現在でも残る師範家は毎年5月19日の武蔵の命日に霊巌洞で「二天一流」と呼ばれる剣法を奉納し、先師の霊を弔っている。
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