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少し調べたところによると、相良寺は、天台宗祖伝教大師最澄上人が弘仁5年(814年)に開かれたお寺と伝えられている。その流れからだろう、京都延暦寺の末寺とされているようだ。
源平時代にはここでの争いにより本堂をはじめ、99もあったと言われる坊舎全てが焼矢したとされる。ものすごい規模を誇るお寺だったことが想像できる。その後、室町時代の永正年間(1504-1521年)に千手観音が再興され、明治時代の廃仏毀釈の法難も逃れ、明治13年に現在の本堂を再建され今日に至っている。
(編集注:廃仏毀釈の法難とは明治維新、新政府によって出された神仏分離令・神道国教化政策による仏教排斥運動のことで、各地で寺塔・仏像などの破壊が行われました。つまりは神道を崇拝し御仏をけなすような運動が起こった信仰上暗い時期だったようです。)
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