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岩本橋(いわもとばし) |
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南関町から荒尾そして大牟田へと流れる関川(下流域諏訪川)に架けられた石造眼鏡橋です。熊本県の石橋としては後年の架橋で、そのため美しく、工夫も施され、なにより保存状態が良いのが特徴です。
県重要文化財 |
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江戸時代、この地は筑後と肥後を結ぶ要所として岩本番所があったのですが、番所の廃止後に岩本橋は架けられたようです。この橋がかけられたのは、安政5年(1858年)、明治元年(1868年)、明治9年(1877年)などの説があります。また石工の棟梁は名工橋本勘五郎ではないかとされています。橋本勘五郎は皇居の二重橋をはじめとする数々の名橋を作り上げた名匠です。改めて岩本橋を眺めると、確かに堂々として美しい姿をしていますよね。
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関川は石橋をかけるにはやや川幅が広く、また堤防も低いので1つのアーチでは橋の高さが非常に高くなってしまいます。そこで眼鏡橋のスタイルになったのですが、そうなると川の中央に橋げた(と呼ぶのだろうか)が必要となり、今のようにコンクリートで基礎が造れない当時は思案のしどころだったようです。岩本橋では水の抵抗に強いとされる小岱石(近くの小岱山から切り出される石のことか?)を使用して基礎が造られています。 また写真からもお分かりと思いますが、橋げたの上流、下流部には水切りと呼ばれる水流を整える仕組みが見てとれます。基礎部分は現在補強されているようです。 |
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欄干にはいろいろな装飾彫刻があるように記されています。ゆっくりと見ることができなかったので確認しておりませんが、西側外面の「菊花紋の陽刻」は有名のようです。訪れた際には是非ご確認を。
また説明看板には、当時の石工棟梁は命がけであったことが記されています。木材で石橋の形の枠組みを作り、この枠に輪石と呼ばれる石を並べていき最後に要石をはめ込みます。要石がもっとも高い位置になるのでしょうか。その後枠組みを外すと奇妙な音とともに橋が引き締まるそうです。もしここで橋が壊れるようなことがあれば、棟梁は切腹するのが当時の常識だったようです。まさに命がけです。これから考えると、現代社会のストレスはまだまだかわいいものかもしれませんよね。
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