井伊直弼【いいなおすけ】が尊攘派に対しておこなった弾圧事件、世にいう「安政の大獄」によって僧・月照【げっしょう】と西郷は絶望し錦江湾に身を投じ自殺未遂をはかった。奇跡的に西郷のみが助かったが武人としての恥として苦しみ、藩からの命令もあって3年間奄美大島で潜居生活を送った。
その後、召還命令によって再び藩士としての勤めを行うも国父・島津久光の上京計画の際、それを薩摩藩が倒幕に踏み切ったと勘違いした一般の浪士や他藩士らなどを諌めに大阪入りするが、命令に背いたとして西郷に激怒した久光により、徳之島〜沖永良部島と流罪になるのである。
そんな波乱にみちた西郷隆盛公であるが、ここ沖永良部の過酷な牢獄生活のなかで精神を練磨し彼の思想として完成させたのが有名な「敬天愛人」【けいてんあいじん】と言われている。
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