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 鹿児島神宮 (鹿児島県霧島市:旧隼人【はやと】町)    site up2004/01/07
鹿児島神宮1
寺社にまつわる歴史にうとい私であるが、鹿児島県の中央ともいうのだろうか、ここ隼人町を通過する際にふと地図上で目にとまった鹿児島神宮の文字。鹿児島市にあるならまだしも、鹿児島市からは離れたここ隼人町に鹿児島神宮、またその記載のされ方からして大きな神社と窺える。これは拝見せねばなるまいというのが訪れたきっかけ、お恥ずかしいやら事前調査はなしである。
で、鳥居からして並の神社ではないなと思ったが、やはり旧官幣大社であり、大隅地方の一ノ宮とされる神社と発覚。そりゃ地図にも大きく記されるわな、といった感じである。さらに案内板によれば、俗に大隅正八幡【おおすみせいはちまん】とも呼ばれ、全国正八幡の本宮でもあるというからなんとも歴史と由緒を感じさせる。うっそうと茂る緑に囲まれ旧官幣大社であるだけのことはある風格、鹿児島神宮をご紹介しよう。
鹿児島神宮2 鹿児島神宮3 鹿児島神宮4
鳥居と参道、ただならぬ予感が 大隅一ノ宮である 鬱蒼と茂るなかに神宮はある
そう遠くないところに霧島神宮(南九州神楽祭りでご紹介)があるだけに、大きな神社が多いなぁという感覚になる。
祭神は、天津日高彦穂穂出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと)豊玉比売命(とよだまひめのみこと)が祀られている。いつものことながら神様のお名前は難しい、暗記は不可能だ。
歴史は古くいつから存在していたかは定かではないようであるが、神武天皇の時代から存在すると伝えられている。901年には歴史上その存在が記されていることから、少なくとも1100年の歴史があることは間違いない。927年に完成したとされる、「延喜式」に記載されている神社(式内社)であることからも歴史十分である。
さて、正八幡と八幡とはどうちがうの?という疑問を持たれる方もおられることと思う。諸説あると思うところだが簡単に調べた内容をご報告しよう。
鹿児島神宮5
鹿児島神宮6 隼人の乱と言われる内乱(?)が720年に発生した。当時日本全国までに勢力を伸ばしつつあった大和朝廷、その大隅地区を治める役所である大隅国府を隼人の人々が襲い長官を殺害するという事件が発生する。これに対し大和朝廷は力でねじ伏せんとばかりに大軍勢の征伐軍を送りこんでいる。神々への信仰は厚く、征伐軍には敵対するものを倒す神力が授かれるとして八幡様が同行されたそうである。それが大分県宇佐地方にある宇佐八幡(宇佐神宮)の神だったようだ。
戦いは1年を超える長期に及んだようだが、善戦しつつも隼人の軍は制圧される。ところがその後、宇佐地方には作物の不作や病の流行が起きるなど災いが発生し、人々は「これは戦いによって亡くなった隼人の人々の霊の仕業では」と次第に思うようになる。そういった経緯があって宇佐神宮で行われる放生会【ほうじょうえ】という、霊を鎮める祭りが行われるようになった。
鹿児島神宮7 鹿児島神宮8 鹿児島神宮9
龍宮の亀石... 拝殿前に位置する勅使殿 境内は綺麗に整備されている
たぶん、隼人の乱の後に、この地に八幡様が祀られたのではないだろうか。その後この地で信仰が深まりまたその力が増していき、1200年頃には八幡宮の本宮とされる宇佐八幡と本家争いをするほどの力をつけていたようである。
平家物語にも、この頃に大隅正八幡宮の社家の桑幡清道という人物が、平安時代の最高権力者であった平清盛や摂関家【せっかんけ】(公卿の家格の一。摂政・関白に任ぜられる家柄。:三省堂「大辞林 第二版」抜粋)との交流の記載があることからも、その力の大きさが窺いしれるところだ。これだけの力をつけた鹿児島神宮は、他の八幡宮とは異なるという意志表示の為だろうか、ここが正であると正八幡を名乗ったのではという説がある。まだ因縁が深く残っていそうな頃、それだけの力を持つまでになれば自然に対峙【たいじ】・独立へと動くことは自然かなと思う。
正八幡宮の本宮というだけあって、本殿、拝殿などは立派なものである。また珍しい建物としては勅使殿という社殿前の建物があり、天皇からの勅使をお迎えするところとして設けられているそうだ。天皇からの勅使が、勅使殿を設けるほどに頻繁に来ていたのだろうかと疑問も持つところもあるが、いずれにしても天皇家との関係を示唆するものである。
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鹿児島神宮11
現在の本殿は宝暦6年(1756年)に島津重豪【しまづしげひで】によるもので、鹿児島県内最大の木造建築物は文化財価値が高いとして、拝殿、勅使殿と共に鹿児島県指定有形文化財となっている。装飾も美しい建物であり、単に大きな木造建築というだけではない価値がある。拝殿の天井格子には花や野菜などが鮮やかに描かれており、舞台小屋ごとき雰囲気を放っている。絵画美術的に見応えのある神社もそうないだろう。また柱などが朱色であり八幡宮の特徴と思われるが、なかなか荘厳【そうごん】な佇まいである。朱色は何も稲荷神社だけじゃなかったのねと再認識したところ。
本殿右手には末社という位置付けか正確には申し上げられないが、下記の3神社が境内に建てられている。装飾もそれぞれに凝ったものがあり感心する。神社北側には皇居高千穂宮跡とされる場所があり、聖地として崇められている。
鹿児島神宮12 鹿児島神宮13 鹿児島神宮14
四所神社 武内神社 隼風神社
 関連リンク 霧島市ホームページ  
   

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