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橋の長さは約506m、中央部分の高さが約30mで完成当時は「東洋一の昇開橋」として話題になったという。
現存する可動橋としても全国で最古のものだそうである。
車がそう普及しない当時、福岡県南の筑後地方以南の地域から佐賀や長崎方面へ行く、もしくは来るには鳥栖を経由するしかなく現在の諸富町や大川市周辺は交通の要衝であるにも、筑後川の存在もあり大変不便であった。
旧国鉄佐賀線は、それを解決するため昭和10年5月、鹿児島本線・瀬高駅と長崎本線・佐賀駅を結ぶ短絡線(総延長24Km)として昇開橋の完成とともに全線開通、開業した。
鉄道の開通によって、米や木材、この地で知られる家具の輸送など利便性が向上し、街の発展に大きく寄与した。
時は流れ交通手段が発展し、国鉄が現JRとして民営化された昭和62年(1987)、佐賀線は廃線となり、橋はその役割を静かに終えた。
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