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【 現地案内文 】
十八世紀前半から九州各地で栽培されるようになった櫨は、その実が木ロウの原料となり、この地方の特産物の一つでした。
久留米藩もこれを大いに奨励し、竹野郡亀王村(田主丸町)の庄屋竹下武兵衛【ぶへえ】が、享保【きょうほう】十五年(1730)頃に、藩内で初めて植栽し、寛保【かんぽう】二年(1742)には国分村(国分町)や西久留米村(西町)鞍打【くらうち】に植えられました。
その後、「松山櫨」や「伊吉【いき】櫨」といった改良種が、筑後一円に広まり、櫨は米に次ぐ主要産物として、藩の財政を潤すようになりました。
柳坂曽根の櫨並木は、この時代の名残りで、秋になると紅葉が美しく、平成六年に新・街路樹百選に選ばれています。
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