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 若松バンド  (福岡県北九州市若松区)    site up 2008/06/24
若松バンド1
バンド[bund]・・・(東洋の港町などの)海岸通り。【三省堂:大辞林より】

若松バンドとは...若松南海岸通りの大正期の建物群を中心とした近代港湾都市固有の帯状の都市空間で、石炭景気に沸いた若松の歴史と発展を伝えるとともに景観的にも非常に優れた地域である。バンドのオリジナルな景観を残す港湾都市は港湾機能を失った都市を除くと、日本ではここ若松だけである。【若松南海岸通りの歴史と景観を考える会・若松区役所:パンフレットより】

筑豊炭田の石炭をここ若松までの輸送を目的として筑豊興業鉄道が開通したのが1891年(明治24年)の事。その後、洞海湾に面した若松は日本一の石炭積出港として大きく発展したのである。

【 撮影時期:2004/09〜2008/05 】

そのような歴史を背景に、洞海湾に面したここ若松中心地区の南海岸通りには往時の賑わいを今に伝える建造物がいくつか残されている。


【 旧古河鉱業若松ビル 】

旧古河鉱業若松ビルは(冒頭↑や→写真)若松バンドのレトロ建造物では最も華やかな外観を有するものである。
同ビルの完成は1919年(大正8年)、構造はレンガ造の二階建で、石積みと赤レンガのコントラストとルネサンス様式を基調とした細部におよぶ幾何学的な模様の装飾性は他を圧倒している。
特に中央の灯台のような円形に伸びた塔屋が印象的な建物である。
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若松バンド3 1990年(平成2年)には歴史的建造物として北九州市建築文化賞を受賞しているが、テナントとしての入居者もなかったために一時は取り壊しが検討されたという。

ところが、このビルを守ろうという市民の保存運動が盛り上がり、約10年の歳月を掛けたその活動は実を結び、平成15年3月からの保存改修工事を経て平成16年9月に“交流・文化・観光”の拠点施設として開館、再び息を吹き返すこととなった。優れた改修工事が行われた旧古河鉱業若松ビルは2007年のロングライフ部門BELCA賞を受賞している。

現在の耐震基準に見合う補強改修がなされたにも関わらず、当時の面影を残す外観・内観は若松バンドのシンボルとして相応しい建造物として再生されている。

また、平成20年6月には国の文化審議会が当ビルを国の有形登録文化財とするよう文部科学省に答申している。
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かつて東洋一の吊橋と言われた若戸大橋を背景に レトロな雰囲気が漂う
注:右側の旧麻生鉱業ビルは既に取り壊されている
石積みとレンガの組合せが美しい
若松バンド7 【 旧麻生鉱業ビル 】

旧麻生鉱業ビルは、先に記した旧古河鉱業若松ビルの真向かいに建っていたものである。
残念な事に2006年12月に解体され今は姿を消した。
1936年(昭和11年)に建設されたもので、木造とは思えない重厚さとリズム感のあるデザインを有していた。道路に面した隅角部に対称軸をとった手法は旧古河鉱業若松ビルと同様で、向かい合った2つの近代建築が織成していた雰囲気は特にレトロな魅力を引き出していただけに残念であった。

【 撮影時期:2004/09 】

若松バンド8 【 石炭会館 】

若松石炭商同業組合がその事務所として1905年(明治38年)に建設したもの。
ご覧の通り寄棟の木造2階建てでモルタル塗りのシンメトリーな洋風建築の外観を有する。紹介する建造物のなかでは最古のもので築100年を超えており今なお現役として使用されている。

いくつかの事業所が入居しているテナントビルであるが、現在(平成20年)は1Fにおいしいパン屋が入居しており、内部の一部を拝見することができる。(パン屋さんのクロワッサンはなかなかの絶品ですよ~_~v)
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潮風香るストリート 若戸大橋と若戸渡船 石炭会館の内部
若松バンド12 【 上野ビル 】

上野ビルは、時の三菱合資会社の若松支店として1913年(大正2年)に完成している。ドイツ製の煉瓦で建造されているが最上階の「上野海運」の看板が掲げられている部分と玄関部分はコンクリートで増築された。
同じ敷地内で道路に面して残る切妻造の煉瓦倉庫には三菱の社章が残っており、その歴史を今に伝えている。

現在の所有は船舶代理店などを営む上野海運(株)で、テナントビルとして同社のほか地元の零細企業が入居するテナントビルである。
【 杤木ビル 】

杤木(とちき)ビルは、1920年(大正9年)に建設された鉄筋コンクリート造の3階建て。
当初は杤木商事(現・杤木汽船)の本社ビルとして完成している。
現在もテナントビルとして使用されている。
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若松バンド14 【 旧ごんぞう小屋 】

「ごんぞう」とは石炭の積出港として隆盛を極めた若松において、その石炭の船から陸への荷揚げ荷下ろしを行う沖仲仕【おきなかし:港湾労働者】のことである。
若松出身の小説家として知られる“火野葦平【ひのあしへい:1907〜1960】”もこのごんぞう達を束ねる一家の長男として生まれている。

この旧ごんぞう小屋は、当時の彼らの詰所を模して整備されたもので内部には往時の資料などを展示する兼用休憩場となっている。また、すぐ裏には弁財天上陸場と呼ばれた当時の船の乗降や荷役に使われた石段式護岸が残されている。
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弁財天上陸場に残る常夜灯 旧ごんぞう小屋内に展示される写真資料 弁財天上陸場
 関連リンク 北九州市ホームページ 旧古河鉱業若松ビルホームページ
   

地図はこちらから⇒  Mapfan地図へ がおおよその位置になります。
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