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 秋 月 【あきづき】 (福岡県朝倉市甘木)    site up 2003/09/12
秋月1
甘木市にある筑前の小京都と呼ばれる秋月。桜の時期と紅葉の時期には、普段の数倍の観光客が訪れる有名なスポットである。まだ紅葉には早かったが、ま、いつの秋月も素敵なものだ。
鎌倉時代の1203年に、原田(秋月)種雄がこの地を納める頃から、戦国時代までの約400年間は秋月氏の所領であったが、豊臣秀吉によって、寛永元年(1624年)に黒田長政の三男である長興が秋月藩として5万石を与えられている。このときから現在の秋月の姿に近い整備が行われたようである。その後、明治時代まで城下町として栄えたようだが、廃藩置県の影響からか次第に静かな町となった。
幸いにも大きな地域開発が行われなかったため、城下町の街並みと雰囲気が残っていることから、平成10年4月に国指定重要伝統的建造物群保存地域に選定されている。
秋月といえば黒田藩(正確には秋月(黒田)藩)というイメージが色濃い、しかし秋月氏の所領時代が長かったことは知らなかった。この地域はもともと秋月と呼ばれていたのか、それとも秋月氏に由来する地名なのか。しかし秋月氏の旧姓が原田姓であることを考えれば、やはり由来は前者と考えるべきか・・・
写真は桜の並木で有名な「杉ノ馬場の桜」である。約500mのまっすぐな道路の両側には200本に及ぶ桜の木が並び、春には桜のトンネルのごとく薄紅色に染まり、時には桜吹雪を起こしては多くの観光客を愉しませる、秋月観光のメインスポットと言える場所だ。「杉ノ馬場」という地名であるが、今では杉はなく桜が有名であるため、「桜の馬場」と呼ぶ人もいるらしい。秋月藩時代には杉の大木が密生しており、藩士・武将たちが木陰となるこの場所で馬揃えや調馬をしていたことに由来する名称であり、杉ノ馬場がやはり正解。
秋月2
秋月3 桜の木々は幹にコケを養い、全体的に緑豊かに感じる空間である。訪れた日は猛烈な夏日、セミの声は重なり合い辺り一面に響き渡り、気分的にも陽の光をいっそうまぶしく感じさせる。
杉ノ馬場の桜並木は、明治38年頃に戦勝祝賀祈念として桜が植えられたとある。明治38年という年代からすると日露戦争に勝利したことによる桜並木となる。大変な戦争に違いはなかったが、日本海海戦でロシアの誇るバルチック艦隊を、東郷平八郎率いる連合艦隊が破ったことは有名である。T字戦法という、敵の正面に横向きに布陣できるよう一列に並んだ艦隊をターンさせ、全砲門を敵艦隊に向けて打ち込むという戦術だった。今みたいに垂直に発射するミサイル等自由自在な攻撃ができなかった当時の戦艦は、艦橋の前後の砲門をフル活用できる横向きでの攻撃が最大戦力だったのである。T字戦法は、絶妙なタイミングで艦隊をターンさせなければ、ロシア艦隊も回避作戦をとったに違いないところだが、東郷の作戦は成功し当時最強とも言われたバルチック艦隊を粉砕した。これが日露戦争の勝利をもたらした。
その戦勝祝賀祈念桜並木である。勝利しても国内は疲弊【ひへい】していた当時、植樹した人々の気持ちは平和を願っていたに違いない。平和の桜並木である。
秋月4 秋月5 秋月6
堀の跡と瓦坂 佇む黒門 水も綺麗だから・・・
秋月の桜並木には「秋月美術館」「秋月郷土館」がある。ともに入館料は500円(2003年8月22現在)であった。
訪れた日はたまたま秋月美術館が無料で開放されていた。こんな喜ばしいことはないと、無料にはめっぽう弱い私はすぐさま拝見させて頂いた次第である。高価そうな壷や彫刻品といったものが多く展示されている。絵画類はあまりないようだ。ちょっと気になったのは水晶で出来た七福神、透明だけに服や表情など一見良く分からないものの、綺麗な彫刻品である。他には黒田藩ゆかりの高取焼の展示などもある。
秋月郷土館の方は残念ながら(当然か)無料開放ではなかったので、入り口のみのご紹介であるが、秋月藩臣戸波家の武家屋敷が残され、黒田藩の上級藩士の暮らしぶりなどが紹介されている。他に郷土美術館と歴史資料館2棟があるらしく、秋月藩の歴史が紹介されているものと推測する。
秋月7
秋月8 秋月9 秋月10
水晶の七福神 秋月郷土館 入口 秋月郷土館 旧家
秋月11 秋月城址には、お城の復元等はされていない。黒門と呼ばれる大手門が残されており、秋月の象徴といっていいだろう。大手門は移設されて現在の場所になったそうだ。大手門だけに城の主要門だろうから、今の秋月中学校の校門付近にあったのだろうと推測する(間違っていたらご連絡下さい)。
黒門と並び石垣の上に現存する長戸門は、勝手門として活用されていたという。今の黒門は勝手門からさらに端の方にある、というおかしな位置関係となっているが、保存することが重要であるため全くもって問題はないだろう。 黒門から階段が山手へと続いている。登る先には初代藩主黒田長興を祀る垂裕神社【すいようじんじゃ】があるそうだ。またの機会にはご紹介しようと思う。
黒門、長戸門のいずれも歴史価値が尊重され、県指定有形文化財とされている。
左写真は長戸門である。
秋月12 秋月13 秋月14
秋月中学校、雰囲気の良い校舎 饅頭の販売が似合う、秋月 秋月の町並み、名残を残す
少し離れたところ、秋月の桜並木通りから旧城下町を南下したところに一つの石橋がある。
「秋月眼鏡橋」と呼ばれる橋は、秋月を流れる野鳥川にかかる。この橋ができる前は、木の橋であったようだが、川の氾濫の度に流され藩は頭を抱えていたようだ。その時、秋月藩の藩士が長崎に赴く任を授かり、そのとき長崎の有名な石橋群を目にしたのだろう。この橋を秋月に、と思うのは当然である。
宮崎首席家老は英断を下し、長崎の石工に頼み、この地に石橋を造ることを命ずる。1度は完成間際に崩壊するなどして数年を要したようであるが、1810年に完成し現在に至っている。石は花崗岩を使用しており、国内では珍しいらしい。
秋月一帯、一見これといってないように思うのだが、ご紹介しようと見渡せばなかなか見所が多い。多くの人々が訪れるのも頷けると感じたところである。また季節によって春は桜、秋は紅葉とその姿を変えながら人々を魅了する秋月。風情を感じさせつつ移り変わるその様子が、飽き易い現代人をも惹きつけるのかもしれない。ふと「飽き好き」こんな言葉が頭をよぎる、たぶん私もその一人だ(編集注:らしいダジャレだね)
また季節が変わる頃に来たいと思う。
秋月15
秋月16 秋月17 秋月18
石橋たもとの公園 昔ながらの葛屋さん(高木久助) お土産もあるが、葛きりが食べられる

 関連リンク 朝倉市ホームページ  
   

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